- 大正14年〜昭和19年 (1925年~1944年)
- 昭和20年〜昭和39年 (1945年~1964年)
- 昭和40年〜昭和59年 (1965年~1984年)
- 昭和60年〜平成16年 (1985年~2004年)
- 平成17年〜 (2005年~)
大正14年から昭和19年(1925年~1944年)
大正14年(1925)
- 12月
- 柳宗悦・河井寬次郎・濱田庄司の3人、紀州行の旅中「民藝」=民衆的工芸の略=という新語を作る。
大正15年・昭和元年(1926)
- 4月
- 富本憲吉・河井・濱田・柳の4人連名で「日本民藝美術館設立趣意書」を配布。
昭和2年(1927)
- 1月
- この頃、中村精らが中心となり静岡県浜松地方に民藝運動が興る。
- 3月
- 京都に上加茂民藝協団が発足、青田五良・黒田辰秋らが参加。
- 4月
- 創刊の『大調和』誌に柳宗悦が連載した「工藝の道」に共鳴して、芹沢銈介・外村吉之介・相馬貞三らが柳門下に参入。
- 6月
- 銀座鳩居堂で初めての民藝品展「第一回日本民藝品展覧会」開催。
- 11月
- 新潟民藝美術協会が発足。
昭和3年(1928)
- 3月
- 東京上野公園の御大礼記念国産振興博覧会に、民藝同人設計になる「民藝館」を出品。閉会後、大阪の山本為三郎邸内に移築、「三国荘」と名付ける。
昭和4年(1929)
- 3月
- 京都大毎会館で日本民藝美術館主催の大規模な「日本民藝品展」を開く。このとき始めて民藝品の挿絵入り目録を製作、あわせて『日本民藝品図録』を編纂。
- 10月
- 上加茂民藝協団解散。
昭和6年(1931)
- 1月
-
雑誌『工藝』創刊(1・2号は青山二郎、石丸重治の編集。3号以後終刊の第120号まで柳宗悦編集)。
- 4月
- 浜松の高林兵衛邸内に日本民藝美術館を開館(昭和8年4月閉館)。
- 5月
- 東京京橋に初の民藝店「水沢」が開業(半年で閉店)。
- 10月
- 京都で鳥取の吉田璋也、島根の太田直行ら「山陰新作工藝展」を開催(11月に東京でも開催)。
昭和7年(1932)
- 1月
- 東京西銀座に民藝店「みなと屋」開業(2年余で閉店)。
- 4月
- 静岡民藝協会発足。
- 5月
- 島根民藝協会発足。
- 6月
- 吉田璋也、鳥取に民藝店「たくみ」を開き、7月に鳥取民藝振興会を設立。
昭和8年(1932)
- 4月
- 京都大丸で京都民藝同好会が民藝蒐集品展。
- 7月
- 安来民藝協会発足。
- 12月
- 鳥取の工芸店「たくみ」、東京西銀座に進出。
昭和9年(1934)
- 3月
- 東京上野松坂屋で日本民窯初の大展観「日本現代民窯展」開催。
- 4月
- バーナード・リーチが14年ぶりに来日、柳・河井・濱田らと各地を廻る。
- 6月
- 日本民藝協会設立、会長に柳宗悦就任。協会事務所を東京本所の浅野長量方に置く。
- 11月
- 東京高島屋で日本民藝協会主催「現代日本民藝展」を開催(翌年、4月大阪高島屋でも)。
昭和10年(1935)
- 1月
- 日本民藝協会の印標として丸輪に鈴の紋を設定。図案は芹沢銈介。
- 5月
- 大原孫三郎、民藝館建設のため10万円の寄付を申し出る。柳らは、直ちに日本民藝館設立委員会を設け計画にかかる。
昭和11年(1936)
- 10月
-
日本民藝館開館、初代館長に柳宗悦就任。開館展示は「現代作家工藝品展覧会」で、河井・濱田・富本・芹沢・外村・川上澄生・棟方志功・柳悦孝ら諸作家の作品と、鳥取その他各地の新作ものを展示。
昭和12年(1937)
- 10月
- 東京銀座鳩居堂で民藝館主催「第1回秋季新作工藝展」開催。
昭和13年(1938)
- 4月
- 東京高島屋、8月京都高島屋で日本民藝協会主催「現在朝鮮民藝品展」。
- 12月
- 年末から一ヶ月余り、柳宗悦・河井寬次郎・濱田庄司が沖縄を訪問。柳は初めての沖縄行きであった。
昭和14年(1939)
- 3月
-
民藝協会同人による2回目の沖縄行き。協同的移動制作のため、柳夫妻・河井・濱田・芹沢・田中俊雄・外村・柳(悦孝)・岡村吉右衛門らが参加。柳夫婦は約一ヶ月、他の同人は3~6ヵ月滞在。各地で陶器・染織などの制作と指導・展観を行い、多数の織物・染物・陶器・漆器などを蒐集。日本民藝協会機関誌『月刊民藝』(編集・式場隆三郎)創刊。
- 4月
- 丹波民藝協会発足。
- 12月
- 東京高島屋で日本民藝協会が「琉球新作工藝展」、協会同人の協同的移動制作の成果を発表。年末、日本民藝協会主催の「琉球観光団」による3回目の沖縄旅行。
昭和15年(1940)
- 1月
-
民藝協会琉球観光団の沖縄滞在中に言語問題論争起こる。
- 6月
- 東京日本橋三越で日本民藝協会と雪国協会共催の「東北六県民藝品展」。
- 7月
- 柳宗悦、4回目の沖縄の旅。
- 11月
- 日本民藝協会、紀元二千六百年奉祝記念事業として、日本民藝館で「琉球工藝文化展覧会」や東京三越で「琉球風物写真展覧会」「日本生活工藝展覧会」を催す。
昭和16年(1941)
- 12月
- 12月8日 太平洋戦争始まる。
昭和17年(1942)
- 1月
- 雑誌『月刊民藝』を『民藝』と改題。「日本民藝協会会則」を制定、会の目的を「本協会ハ民藝運動ニ立脚シ、簡素、健康、国民的ナル生活文化ノ創造ニ寄与センコトヲ目的トス」とし、地方支部制をとることとした。
- 8月
- 日本民藝協会青森支部発足。
- 11月
- 日本民藝協会岩手支部、日本民藝協会角館支部が発足。
昭和18年(1943)
- 1月
- 工芸の統制機関「大日本工藝会」発足。日本民藝協会は解散せず参加することを認められる。
- 3月
- 日本民藝協会静岡県支部発足。
- 5月
- 日本民藝協会栃木県支部発足。
- 12月
- 『工藝』114号発行、以後昭和21年12月まで3年間発行中断。
昭和19年(1944)
- 11月
- 『工藝』『民藝』の用紙焼失。続刊極めて困難となる。『民藝』は12月第68号を発刊したあと、21年7月刊の第70号まで刊行できなかった。